今日の授業中の生徒とロシア人の若い先生の反応が面白かった。
「学校の先生はPushkin is everything.なんていってるけどうんざり。なんで女性のために決闘して死んだりするの。バカじゃない」。
「当時は決闘もありだったんじゃない」といさめる私。
それでも生徒たちは全然納得しない。
ロシアでは必ず学校でプシキンを学ぶことになっている。多分、暗記とかテストとあるのだろう。そのせいで嫌いになるのは理解できる。
私はプシキンの感受性が大好きであり、彼は偉大な詩人であると思っている。プシキンなんて大嫌いというロシア人がいても私の見解はいささかも揺るがない。
私はプシキンの詩、大好き。流刑されたり、女性の為に決闘して死んでしまう生き方も詩人らしくて魅かれます。でも、若い人がプシキンなんてって思うのも面白い。現代の感覚で考えると、許せないのだろう。日本でも例えば、石川啄木はその短歌より、女郎を買ったり妻に対してのことでもう嫌いだと言う認識の人が今、割といます。でも、啄木の短歌は素晴らしい。プシキンもそうだけど、詩人は命がけで言葉を紡ぐ。そして詩は、生きる慰めにもチカラにもなる。
私は高校の授業で、石垣りんの詩を教えてもらった時、生き方が強くてちっともわからなくて、それで今まで避けてきたのだけれど、
今、読む機会がもてたら、なんていい詩、詩人なんだろうと大好きだと思いました。もう少し前に気づけば良かった。やっと気づいた。
授業で論争したりできるのは、素敵だと思います。誰かの心に、種を撒いたね。
コメントありがとうございます。
でも「論争」じゃないですね。私には最初から論争するつもりはないので。
学校で先生たちにこれはいい、最高だ、と言われ続けると嫌になるという生徒の気持ちはよくわかります。私も教師でしたから。教師は自分の好きなテーマになるとついつい熱が入ってしまうんですよね。それはよし。そして、それを嫌だな、うざいなと思う生徒もいる。それもまた良しです。
わたし、失礼なこと言ったかな、ごめんなさい。論争は大袈裟でしたね。でも、言いたいこと言えるのは、本当に自由があるからだと思います。私は、授業で習うものを疑い、教師の言葉も信じられなかったので。でも、学校に行くのも辛かった時、ある教師が教科書にはない詩のプリント作り渡してくれたことが、今、詩を好きになったきっかけで、大袈裟だけど、生きる意味はあると私に思わしてくれたんだと、思っています。それは、もしかすると半世紀くらいわかるまでかかったかも、しれません。若い頃は、目の前は高い鉄柵があってひとりで牢獄みたいでした。若いというのは、余程恵まれていないと保守的に考え、観念的だから。生きていくと、いっぱい失敗もして、呪縛が解けていくようでした。支離滅裂になってしまった、夜中お邪魔しました。
本当に言いたいことが言えるのは大事ですね。
教師というのは権威を背負っているのでなかなか一人の人間として生徒に向き合うのは難しいです。
私は一人の人間として向き合ってきたつもりですがどうだったのか。
それを判断するのは生徒ですね。