夕方6時からラリーサ先生、ユリアと食事をした。寿司を食べた。ラリーサ先生はキーロフ大学で英語を教えている。ユリアの日本語の先生だった。今はもうユリアの方が日本語が上手になっている。
ラリーサ先生の若い頃の話が面白かった。その当時キーロフには言語学を学べる大学がなかったので、先生はサンクトペテルブルク大学で構造言語学と応用言語学を学んだそうだ。チョムスキー理論が世界を席巻した頃の話である。第一外国語は英語。日本語は第二外国語。アラビア語も1年間学んだ。日本語の講座が開かれたのは若い教授に仕事を与えるためだったそうだ。当時は第二外国語としてはフランス語が一般的だった。日本語はなかなか勉強できるチャンスがないからという理由で先生は日本語の勉強を始めた。
学部を終えて修士課程に進みたかったが、ちょうどその頃にお父さんがなくなり、諦めてキーロフに戻ってきた。それからずっとキーロフで暮らしている。修士を終えなければ大学の先生になるのは難しいと思われるがその辺りの事情は聞かなかった。
先生はイギリスのシェフィールド大学で3ヶ月勉強したり、日本に2週間ぐらい滞在したことがある。シェフィールド大学でもっと勉強すればイギリスで働くことも可能だったらしいが身分が不安定なのでその道は選ばなかった。日本に来たのはソ連の代表に選ばれて友好親善学生団体の一員として船で日本各地を回ったのだ。
優秀な先生なのだ。外見も穏やかでチャーミングである。